愛と平和 忌野清志郎さん、御逝去

 むかし尼ヶ崎が、皇太后陛下が御逝去なされた時に、なぜか留守電を入れてきて、「皇太后さま、ごいきょ。ということで……」なぞと言っていたのを思い出す。
 そんなことはどうでもいいのだが、キヨシローが死んでしまった。ノンポリ天皇ブログで言うのも妙な話だが、この人ほどノンポリからほど遠いところにいたミュージシャンもおるまい。しばkが早稲田祭で見たライブのMCでは、「俺は戦争なんてなくなると思ってた! それがどうだい? 世の中はどんどんおかしくなってっちゃってるぜ」という意味のことを言って、「愛しあってるかい?」と呼びかけた。
 そもそも僕が初めて忌野清志郎を知ったのは1999年に豊田市で行われたロックイベントで、その時に『明日なき世界』や『世の中が悪くなっていく』を聴いて、中学三年生の僕は「こういう曲(メッセージ・ソング)があるんだなあ」と感動したものだった。
 忌野清志郎の思想とは、ごくごくわかりやすい、伝わりやすい言い方をしてしまえば「愛と平和(LOVE&PEACE)」である。最近だとサンボマスターが『世界はそれを愛と呼ぶんだぜ』の中で「愛と平和! 愛と平和!」と叫び、少し前なら奥田民生が名曲『近未来』で「愛と平和だけ、捨てないでね」と歌った。「愛と平和」は今でこそそのようにストレートにも歌われるようになったが、そういう状況を創ったのは忌野清志郎の功績もあっただろうなと思う。つまり清志郎は、日本のロックに「愛と平和」という思想を根付かせた日本人の一人であったと。もっとも、奥田民生サンボマスターが直系の清志郎チルドレン(カバーしたりセッションしたりしている)だからってことかもしれないけど。
 日本でメッセージ・ソングを歌うといえばフォークだったと思うんだけど、RCサクセションって初期の頃はフォークで、それがだんだんロックに変化してきたわけなので、その過程で邦楽フォークの思想が邦楽ロックに輸出されていったという事情があったのかもしれない。同じように岡林信康もフォークからロックのほうへ行った(その後演歌になって、また弾き語りに戻って、今ではエンヤトットや御歌囃子というスタイルになっている)人で、奇しくもサンボマスターは岡林の大ファンである。僕の個人的な考えでは、岡林と清志郎が、愛と平和を訴える日本のメッセージ・ソング的なものを作り上げた最大の功労者であろうと思っている。
 清志郎は具体的に、原発や戦争や犯罪や、国家や宗教や言論の唄を歌う。今、そういうことをちゃんと歌うミュージシャンで、ちゃんと売れてるのって、誰かいるかあ? 「愛と平和」の「愛」ばっかりに偏りすぎていませんかあ? だけどさあ、「愛」ってのが、「平和」もしくは「平和の希求」というものを前提にしないものだったら、実に薄っぺらい、表面的な「恋愛」なるものにしかならんのじゃないか? 僕なんかはそう思うのだけどね。そういう意味で忌野清志郎さんの死は日本の音楽、いや「思想」にとって大いなる損失だと思われる。
 忌野清志郎の有名なMC「愛しあってるかい?」っていうのは、けっこう深みのある言葉で、「平和がなければ本当の愛は生まれないが、それでも愛しあうことからしか何も始まらない」というようなメッセージが込められているんではないかと僕は思っている。だから、そういうことをちゃんと言ってくれる偉大なミュージシャンが一人この世から去ってしまったのは、非常に悲しい。心からのご冥福を。
 
 ……などと、『たたかえっ! 憲法9条ちゃん』などという、平和をめざしているのかめざしていないのか、戦争を肯定しているのかしていないのか、まったくよくわからない小説を書いているしばkが言うのも妙な話である。ノンポリ天皇のしばkはノンポリなので、『9条ちゃん』に特に政治的なメッセージや意図なんかは一切なくて、ただ自分が面白いと思うように書いているだけであります。ただ、政治的でないメッセージや意図みたいなものであれば、まったくないかといえばそうでもなくて、たとえば『ディスコミュニケーション』の松笛くんの言葉を借りれば、「世の中、面白ければそれでいいのさあ〜」とか、そういったような話は盛り込まれて……いるようないないような。すべては読者のみな様にお委せいたします。

(芝浦)