唐沢なをきはギャグ漫画界の筒井康隆である(1)『銀齢の果て』『まんが極道』
唐沢なをきは、ギャグ漫画界の筒井康隆である。
なんてことをほざいたら、「そんなに偉大か?」と言われた。うーん、確かにそうだ。言い直そう。
唐沢なをきは、僕にとって、ギャグ漫画界の筒井康隆である。
これならばまぁ、どこからも文句は出ようもない。だって僕の勝手なのだものね。
唐沢なをきの何が僕にとって筒井康隆なのかというと、それはまず文体である。筒井が「おれ」という一人称で小説を書くと、なぜかなんだか間抜けである。「俺」や「オレ」というと格好良いが、「おれ」となると不思議に間が抜ける。この「おれ」という一人称の間抜けさが、筒井文体の核心であると僕は思う。
筒井康隆の『銀齢の果て』という、「政府が人口対策のために七〇歳以上の老人に殺し合いをさせる」(バトル・ロワイヤルのパロディ)という設定の小説の序盤一〇ページ目くらいに「バトルだぞう」というせりふがある。これはすさまじいせりふである。殺し合いが「バトル」という軽薄でキャッチーな言葉に言い換えられて社会に浸透しているという事実が、マスコミの思惑通りに考えて動くノンポリ国民の様子を的確に表している。
「殺し合い」という言葉を使わずに「バトル」と言えば、たとえば「売春」を「援助交際」と呼ぶように、罪悪感や禁忌感が薄れていって、やがて殺し合うことを残酷だとも思わなくなる。当たり前と思うようになる。そういうふうにマスコミはイメージを支配して、人々を、世論を操っているのだ、ということを端的に表したせりふが、「バトルだぞう」である。このせりふは、街中で突然始まった殺し合いに対して発せられた通行人(たち)の言葉だ。
このような、「殺し合い」という深刻な事態を「バトル」という軽薄で間抜けなイメージに変換してしまうようなやり方は、筒井康隆の得意とするところだと思う。『銀齢の果て』は殺し合いを軸として進む話なので、おびただしい数の老人たちが死んでいくが、どの死に方もどこか間抜けなのは、筒井文体のせいである。ある登場人物が生殖器を切り取られた際のせりふは、こうである。
「いてててててて。いてててててて。痛い痛い痛い。痛いよう。痛いよう」
(筒井康隆『銀齢の果て』新潮社 P157)
間抜けなのである。また、筒井は「キチガイ」や「気違い」よりも「きちがい」と表記することを好むが、これも間抜けさがにじみ出ている。
この「間抜けさ」をそのまま作風にしてしまっているのが唐沢なをきである。
先ごろ発売された『まんが極道』3巻から第三十話『僕は漫画家(うそ)』という話を取り上げよう。
『まんが極道』は一話完結のギャグまんがで、毎回登場人物は変わる。この話は2ちゃんねるとおぼしき掲示板に「売れっ子まんが家です」とうそを書き込んでいる四〇前の引きこもりの男が主人公。彼がパソコンで掲示板を覗いている描写が話のほとんどを占めるというすさまじい話である。彼のせりふのみを抜き出し、以下にすべて列挙してみよう。
※どんなストーリーなのか想像しながらお読みください
うふふ
うっへっへっ
うふっ
うっふっふっふっ ぶっふっふっふっ
う゛う
えーと えーと
えーと
うっ
う゛う゛っ
ほんほんほん ほんほんほん
ほんほんほん ほんほんほん
ほひいいいいッ
う゛
はあはあはあはあ
はあ
は――――――ッ
う゛
うう
きえ――ッ
きえええ――ッ
きえええええええええええーッ
うう
うう
ほんほんほんほんほんほん
ほーんほーん
はっ
はっ
う゛う
う゛う
うぬっ
ぬぬぬぬーッ
ぐ
ぐっ
くうっ
くくくくくッ
はー
はー
はー
がっ
があ
えー
う
うーっ
きーっ
きいいいい
きいいいいいいい
は――っ
はあああ
うっきいいいいいいい
おんおんおんおん
おんおんおんおん
は――
はーっ
はああああああああああ
が
ががががががっ
むっ
があああああ
おおおおおお
おおおお
きえ
きいいいい
ひっ
……以上である。擬音も非常に面白いのだが、今回は省いた。
「きい」は筒井もよく使うし、「きえー」「うっきい」あたりはわりと一般的である。しかし「ほんほんほん」とか「ほーんほーん」とか「おんおんおんおん」などは、唐沢なをき独自の言葉で、主に何らかの性的行為をする際に使われる。この話ではいずれも自慰に励むときのせりふになっている。なんというかもう、間抜けである。
で、僕が思うに、唐沢なをきの「ほんほんほん」と筒井康隆の「おれ」や「きちがい」とは、同じなのである。同じように間抜け語、間抜け文体なのである。そういうわけで唐沢なをきはギャグ漫画界の筒井康隆なのである。……もちろん理由はそれだけではなく、筒井が「小説の表現を追究した」、唐沢なをきが「漫画の表現を追究した」偉人であるという点も指摘したいし、いしかわじゅんが唐沢なをきについて言っていた言葉も紹介したいのだが、それを書いていると日が暮れてしまうのでまた後日書く気になれば!
(芝浦慶一)