ノンポリ天皇、第九回文学フリマのパンフで触れられてました

 今さら気がついたのですが、我が「ノンポリ天皇」、昨日参加させていただいた「第九回文学フリマ」のパンフ(サークルカタログ)の「『文学フリマでどう買うか? 売るか?』――第八回文学フリマを振り返って」という対談で言及されていました。
 

 望月
 彼の作成したリストを見ると【ノンポリ天皇】(F-13)さんにかなり食いついてますね。「ここは絶対チェック!」って書いてある(笑)。
 
 小向
 はい(笑)。ブースの方もかなり盛り上がってましたね。後半には完売していたようです。
 
 望月
 来場者のアンケートの中にね、「そもそも『ノンポリ天皇』というサークル名が許されていることに驚いた」という意見がありました(笑)。けっこう厳しいイベントさんもあるらしいです。文学フリマでも露悪的に差別用語全開みたいなのはお断りするかもしれませんが、「ノンポリ天皇」はまあギリギリOKというラインかと。
 
 志和
 ノンポリっていう言葉がもうほとんど死語になっていて、意味がわからない人も多いでしょうから。
 
 望月
 これはね、さっき言った埋没感対策の作戦としてはアリなのかもしれない。とりあえずサークル名で勝負するという狙いですね。【脳内アルパカをもふもふする会】(F-9)とかね。カタログをパラパラめくっていてもすごいインパクトで目に入ってくる。まあ反則ワザかもしれないけど(笑)。
 
 小向
 なるほど(笑)。

 
 ふーむ。「ノンポリ天皇」というサークル名は「ギリギリOKというライン」なのかー。でもインパクトがあると言っていただけて光栄だなあ。そもそも尼ヶ崎(現・除名天皇)とサークル名を考えていて、深夜だったとはいえ「ノンポリ天皇」は即決レベルの面白さだったからなあ。(このへんのいきさつは「ぽりてんだより1」というペーパーで読めます。)
 誤解なきように言い訳しておくと、とても信じられないかもしれないですが芝浦慶一は個人的に、いや一人の国民として、皇室を崇敬しております。「天皇なんかいなくてもいいんだ」などと言う不敬な輩には心からの憎しみを向けます。
 そもそも「ノンポリ」というのは「nonpolitical」、すなわち「政治的でない」という意味なのです。「ノンポリシー」ではないのです。日本語でよく用いられる「何も信条がない、何も考えていない」というような意味とは本来は違うのです。
 現代の天皇は政治を司るのではなく、国民のために「祈り」を捧げてくださっている存在なのです(これは古代からずっとそうですが)。「ノンポリ天皇」というのは、「政治的でない、祈る存在としての天皇」ということを表します。中学生レベルの言葉でいえば「象徴としての天皇」でもいいです。……こう言うとなんだか「護憲派」の物言いのようですが、単純に「祈り」という部分を強調したいという思いからです。憲法は、変えるべきところがあれば変えて、変えるべきでないところしかないのならば変えなければいいと思います。
 もちろんあとづけのこじつけですが、「こじつけでもつじつまがあえばそれにこしたことはない」(島本和彦逆境ナイン』より)の精神で、そう主張しておきましょう。