一休さんの最終回

 木曜日の無銘喫茶(あひる社)で、アニメの最終回を四本見た。『魔法の天使クリィミーマミ』と『機動武闘伝Gガンダム』の最終回はすでに何度か見たことがあったが、『一休さん』と『魔法のステージファンシーララ』は、見たことがないか、見ていたとしても内容をほとんど忘れてしまっていたので、とても新鮮だった。とりあえず一休さんの最終回から。

 高校のころ、「一休さんの最終回ってどうなるんだ?」という話をクラスでしていたら、ある同級生が真顔で「えっ? 知らないの。一休さんが未来に帰るんだよ」と言ったのを強烈に覚えているのだが、それはそれとして。一休さんの最終回では、一休さんが旅に出るのである。
 一休さんが「こんな素敵な人たちに囲まれて、会おうと思えば母親にも会えるような状況で、修行なんかできるわけがない」と、至極まっとうなことを言い出して、和尚さん、母上、仲間の坊主、将軍さま、新右衛門さん、桔梗屋、さよちゃんらに別れを告げて旅に出るというストーリー。そうだよなあ、一休さんの毎日って楽しそうなだけで、全然なんか「修行してる」って感じじゃないもんなあ、とやたら納得してしまった。
 一休さんは早朝、みんなに内緒で寺を出ようとするが、実はみんな一休さんが旅立とうとしていることに気づいていて、寺の門の外で坊主やさよちゃんが待っている。別れがつらい一休さんは、追いすがるさよちゃん(かわいい! 一休さんは全女の敵!)を振り切って走り出す。そして……最後に登場するのはやはり新右衛門さんなのである。
 一緒に見ていた人の中に腐れ女子(くされおなご)という、「ちょっと違うところがあるとすれば、男同士に興味があるってことカナ――名前は(検閲削除)」的な種族の方がいらっしゃったので、最初から「一休さん×新右衛門さん」的な視点で見ていたのだが、旅立っていく一休さんが最後に別れを告げるのは、やはり新右衛門さんだったのである。ちなみに、最終回の途中では馬の手綱を引く新右衛門さんの大きな背中に一休さんが丸い頭をすりつけて彼を想うというようなドッキドキなシーンがあったりして、我々は始終萌え萌えであった。
 別れが辛い一休さんは、頭を下げて目の前に立つ新右衛門さんの脇を歩き抜けていく。ここで「すれ違う」という演出をわざわざ加えるのは、製作側が男色を意識している証拠である。新右衛門さんは後ろを振り向いて、「必ずいつか追いかけていきますからー」と、女子のようなこと(我々の総意として、新右衛門さんは「受け」である)を言う。遠ざかる一休さんの背中に「一休さーーーん」と叫ぶのが、番組終了10秒前である。なんなのこれ。シェーン?
 残り10秒間は、歩いていく一休さんの背中をひたすらにただ映すのだが、ここからが超展開。一休さんの目の前の曲がりくねった道が、だんだんとまっすぐな道に変わっていき、夕陽だか朝陽だか「悟り」の象徴だかなんだか知らん「光」が現れる。一休さんはそこに向かってまっすぐに歩いていく。そしてどこからか、お経(般若心経)を読む声が聞こえてきて、大きく「終」という文字が出て終わり、である。
 なんなんだこれは? と思っていたら、同席した友人が調べたところ、一休さんのモデルになった一休宗純は、のちに般若心経の解説書を書いているそうである。
 

一休さんの般若心経 (小学館文庫)

一休さんの般若心経 (小学館文庫)

 
 うーん、単なるホモオチかと思ったらそういうところまでちゃんと計算しているとは、一休さんの最終回おそるべし。いや、それにしたってラスト10秒の超展開には二の句が継げないわけではありますけれどもね。


 ところで、「あの長く果てしないまっすぐな道を歩いていく」ラストは、『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』のラストに酷似しているのだが、ufotableさんはそのへんを意識していらっしゃったのでしょうか。オマージュ? だったらやたら笑える。


 それから、一休さんには「おっぱいと兄弟げんか」という不屈の名作があるので、そちらのほうもいつかレビューしたいところ。(これも同じ日に見ました。)

(芝浦慶一)